【この文章は過去の育児日記です】
ママになって1歳3カ月の私へおつかれさま~。ほんとわんぱくになってきたね。この時期はもう興味しかなかったから、興味のあるもの触りたい、つかみたい、みたいだけなんだよね。なんにも悪気はない。。。ってのをわかってはいたんだよね。だけど、まだ周りとうまくできない我が子を持て余していたね。言葉でいってもわからないし、私の口から出る言葉ったら周りの目ばかり気にしていたしね。ケース1についてこれはこのあと私結構悩んでて結局、これかな?って思うものがあったので言うね。ひなたは物や人にとっても好奇心がある子供だってことは言っておくね。問題はそこじゃなかったんだ~。「子供のこと責めてばかり」ってかいてあったね。そう。つらかったのは私自身だったね。ひなたにおもちゃとられて泣いている子供やその子供の親の目線がきになるんだけど、それはね私のなかの「いい人でいたい」って部分がとっても関係しているよ。今まで周りの空気を読んだり、人の気持ちをくんだりすること多かったよね。それで人生難なくやってきたよね私って。でも、もうそろそろ捨ててもいいんだよ。いい人っていうのは勝手に相手の気持ち読んだ気になって、勝手に行動して、相手が自分の考えてないような反応したときに責めたり拒絶するんだよ。だから、もうそんなの捨ててもいい。ひなただけをみて、言葉かけしてもいいんだよ。ひなたがおもちゃを友達からとったらなんていいたいかな?そのおもちゃ楽しそうだもんね。わかるわかる。ママもそのおもちゃ素敵っておもった。だからほしいよね~。ひなちゃんまだちいさいから貸してっていえないからママが代わりに言うね。かしてくれるかな。っていいたいね。それでいいんだよ。例えばそれで子供がないたとして、相手の親が怒ってきたとして、嫌われたとして、それは相手の親の問題なんだ。もっとひなたのことだけ考えてあげていいよ。だってひなたのママなんだから。嫌われても大丈夫。っていってもまだ怖いよね。だんだんそのブロックはずれていくから大丈夫。ケース2もっともっとあまあまでいいよ。ダメでしょって言って自分がなんかいやだな~て気持ちになるなら、ダメでしょって言わなくてもいい。なにかひなたがしでかしたときに全部全部言葉で拾おうとしなくていいよ。言葉掛けって、ほんとうに労力がいると思う。それでつかれちゃうくらいなら、見守ればいい。見守る勇気がなかなかでないと思うけど、行く末見守ってみるといいよ。私がとめなくても他のお母さんがとめたり、近くの誰かがとめてくれたりするよ。それでいいよ。申し訳ないってばっかかんがえて先回りして、子供と自分せめて毎日くたくたになるんだよね。だったらしなくていいよ。ほんとだよ。そうすると次の課題がみえてくる。「自分の感情のコントロール」あのね、感情のコントロールってかいている時点で自分になにか負荷がかかってるんだよ。その負荷がなんなのかを解消できていないのにコントロールはできないよ。負荷っていうのは全部自分の中にあるよ。それは「本当は〇〇なんだけど、でも〇〇しかできない」の〇〇にいろいろ入れてみてね。本当はのあとの〇〇に入る言葉に従えばいいよ。それは感情の言葉でも〇〇しかできないの〇〇は理性の言葉感情が心地いいほうへ自分を持っていけばいい。そのときにもう手放していいものがある。それは「正しさ」正しさを追い求めるとどんどん感情は置き去りになってしまう。それが負荷っていうんだよ。正しさを追い求めるほうが楽だと思ってない?たとえば教科書どおりだったり、他人のレールの通りに動いていたほうが楽だって。でも考えてみて、本当に楽だったら今悩んでないでしょ。本当の楽を手に入れたいなら、正しさよりも心地よさ、気持ちよさを考えてみてね。頭ではわかってるけどできないことたくさんあって泣いてたことあったよね。そういうことだよ。頭でわかってることは正しさなの。もう一度いうね。正しくなくていいよ。自分がやりたい、したい、きもちいい方へすすんでいっていいんだよ。そうすると、だんだん楽になっていくよ。楽になるってことは大きな声をださない、怒鳴らない、そういうことじゃないんだ。大きな声をだしたり、どなったり、感情を出しても自分を責めない。子供も責めない。感情を外にだせたことをありがとうって思える。そういう心の状態のことを言っているんだよ。自分を責めている感情はどんどん追い込む。けれど感謝はどんどんあたたかい「愛」を感じるから、どんどん幸せになっていくんだよ。どんどん幸せになるから子供をどんどん好きになるし、どんどん旦那が好きになるんだよ。そういういい循環がほしいなら早く「正しさ」から抜け出してね。
コメント
ママになって1歳3カ月の私へ
おつかれさま~。ほんとわんぱくになってきたね。
この時期はもう興味しかなかったから、興味のあるもの触りたい、つかみたい、みたいだけなんだよね。
なんにも悪気はない。。。ってのをわかってはいたんだよね。だけど、まだ周りとうまくできない我が子を持て余していたね。言葉でいってもわからないし、私の口から出る言葉ったら周りの目ばかり気にしていたしね。
ケース1について
これはこのあと私結構悩んでて結局、これかな?って思うものがあったので言うね。
ひなたは物や人にとっても好奇心がある子供だってことは言っておくね。
問題はそこじゃなかったんだ~。
「子供のこと責めてばかり」ってかいてあったね。そう。つらかったのは私自身だったね。ひなたにおもちゃとられて泣いている子供やその子供の親の目線がきになるんだけど、それはね私のなかの「いい人でいたい」って部分がとっても関係しているよ。
今まで周りの空気を読んだり、人の気持ちをくんだりすること多かったよね。それで人生難なくやってきたよね私って。でも、もうそろそろ捨ててもいいんだよ。
いい人っていうのは勝手に相手の気持ち読んだ気になって、勝手に行動して、相手が自分の考えてないような反応したときに責めたり拒絶するんだよ。
だから、もうそんなの捨ててもいい。
ひなただけをみて、言葉かけしてもいいんだよ。
ひなたがおもちゃを友達からとったらなんていいたいかな?
そのおもちゃ楽しそうだもんね。わかるわかる。ママもそのおもちゃ素敵っておもった。だからほしいよね~。ひなちゃんまだちいさいから貸してっていえないからママが代わりに言うね。かしてくれるかな。
っていいたいね。それでいいんだよ。例えばそれで子供がないたとして、相手の親が怒ってきたとして、嫌われたとして、それは相手の親の問題なんだ。
もっとひなたのことだけ考えてあげていいよ。
だってひなたのママなんだから。嫌われても大丈夫。
っていってもまだ怖いよね。だんだんそのブロックはずれていくから大丈夫。
ケース2
もっともっとあまあまでいいよ。ダメでしょって言って自分がなんかいやだな~て気持ちになるなら、ダメでしょって言わなくてもいい。
なにかひなたがしでかしたときに全部全部言葉で拾おうとしなくていいよ。
言葉掛けって、ほんとうに労力がいると思う。それでつかれちゃうくらいなら、見守ればいい。見守る勇気がなかなかでないと思うけど、行く末見守ってみるといいよ。
私がとめなくても他のお母さんがとめたり、近くの誰かがとめてくれたりするよ。それでいいよ。申し訳ないってばっかかんがえて先回りして、子供と自分せめて毎日くたくたになるんだよね。だったらしなくていいよ。ほんとだよ。
そうすると次の課題がみえてくる。
「自分の感情のコントロール」
あのね、感情のコントロールってかいている時点で自分になにか負荷がかかってるんだよ。その負荷がなんなのかを解消できていないのにコントロールはできないよ。
負荷っていうのは全部自分の中にあるよ。
それは「本当は〇〇なんだけど、でも〇〇しかできない」の〇〇にいろいろ入れてみてね。
本当はのあとの〇〇に入る言葉に従えばいいよ。それは感情の言葉
でも〇〇しかできないの〇〇は理性の言葉
感情が心地いいほうへ自分を持っていけばいい。
そのときにもう手放していいものがある。
それは「正しさ」
正しさを追い求めるとどんどん感情は置き去りになってしまう。
それが負荷っていうんだよ。
正しさを追い求めるほうが楽だと思ってない?たとえば教科書どおりだったり、他人のレールの通りに動いていたほうが楽だって。でも考えてみて、本当に楽だったら今悩んでないでしょ。
本当の楽を手に入れたいなら、正しさよりも心地よさ、気持ちよさを考えてみてね。
頭ではわかってるけどできないことたくさんあって泣いてたことあったよね。
そういうことだよ。頭でわかってることは正しさなの。
もう一度いうね。正しくなくていいよ。自分がやりたい、したい、きもちいい方へすすんでいっていいんだよ。
そうすると、だんだん楽になっていくよ。
楽になるってことは大きな声をださない、怒鳴らない、そういうことじゃないんだ。
大きな声をだしたり、どなったり、感情を出しても自分を責めない。子供も責めない。感情を外にだせたことをありがとうって思える。そういう心の状態のことを言っているんだよ。
自分を責めている感情はどんどん追い込む。けれど感謝はどんどんあたたかい「愛」を感じるから、どんどん幸せになっていくんだよ。
どんどん幸せになるから子供をどんどん好きになるし、どんどん旦那が好きになるんだよ。
そういういい循環がほしいなら早く「正しさ」から抜け出してね。