【この文章は過去の育児日記です】
最近ひなたは言葉も感情もバリエーションが増えてきて、だんだんと赤ちゃんから幼児になってきているなって思う。
保育園も楽しく通っているみたいで安心する機会が増えてきているように思う。
でも、家の中と違って、外はきっと自分の思い通りにいかないことや理不尽なことがたくさんあって、それに鍛えられて社会性が身についていくのだろう。
もう私がそばにはいないのだからいろんな感情と折り合いをつけるという作業を本能的にしている時期なのかもしれない。
前に日記で「わが子はまだ言葉がしゃべれないし思っていることを伝えられないのに、私が感情的に怒るのはいかんなあ」と反省していたが、ひなたが成長するにつれ今はまた違った考え方も生まれてきた。
私がひなたにいやなことをされたら、ちゃんと感情で怒ってあげたいなって思うようになってきた。
人がいやなことをされたらどんな反応をするのか知らずに育つってなんか変だなっておもって。
私もひなたにとって感情のある人間として接する機会があってもいいのではないかと考えるようになった。
確かに理性的に叱るということもちゃんと子供に伝える手段だし、それと同じくらい喜怒哀楽を見せるというのも子供に伝える手段として有効だと思えてきた。
だから、「言葉の手前には気持ちや感情があるんだ」ってことをつたえるのって、声の大きさや顔の表情や体全体で表現していくってことなのかなって。
確かに親の感情むき出しにしすぎて、子供に「なんでこんなにママが怒ってるのにあんたはわからないの!」ってな感じではいつまでたっても気持ちは子供に伝わらないのかもしれないけど、感情がおさまってから「なんで今私がおこったのか考えてみて」って投げかけたり考えさせる機会を子供に作ってあげることをしていきたいと思う。
子供にどなってしまって、私って親失格だなって思っていた自分もあっての今考えることでした。
コメント
ママになって2歳10カ月の私へ
いや~ほんと頑張ってるね。
そうそう。親じゃなくてもいい。人間でいいんだ。
自分という人間でぶつかればいい。
だってどうこねくり回してもそれしかできないんだ。
早くいい親、いいママって偶像を追うのを諦めよう!(笑)
例えば私が感情的になるってのを悪いことにしてしまったら、子供は大人になっても感情を抑えることがいいことだって思う子供になるだろうね。そう教えてるんだから。
自分が感情を抑えれないってことをいい悪いじゃなくて、私ってこういう人なのでいいんだね。
子供もちゃんと親のこと見てるよ。
それで、子供が親のこと大っきらいになることもあるし、大人になっても受け入れれない場合もあるよ。
でも、それは子供の問題なんだ。
嫌われる理由は子供の中にあるんだ。
私じゃない。私というフィルターを通して、子供自身のなにかに触れて、子供は親を嫌う。それは子供自信の成長ってこともあるし、そこだけにとらわれなくてもいい。
だから、子供にきらわれてもいい。
だたし、本当の自分どんどんみせていこうってことなんだ。
もし「正しさ」に翻弄されて、ちゃんと感じたことを子供に伝えないで、本当の私の気持ちの部分を知らないで成長してしまうことのほうが問題じゃないか?
「正しいかどうかは別として、ママはこう感じているんだ」そんなフレーズから始まる話をしてみようね。
きっと子供はちゃんときいてくれるよ。
聞いてくれるのと自分の思うように行動してくれるはちがうよ。
ちゃんと思いはうけとめてくれる。それだけ。(笑)